佐為が立ち上がってその場を譲ったので、ようやく加賀はベンチに座ることが出来た。
納得いかない様子で しきりに首をかしげる加賀の隣で、ヒカルはまだ笑っている。
「もしかしたらさ、ユーレイでも座ってたのかもよ」
「はははっ!じゃあ、そのユーレイ、お前に取りついてんのか?」
「そーかも・・・んでね、そいつ、碁の名人なの」
「何だそりゃ?」
本当は事実である奇妙な冗談話に花を咲かせていると、通りの向かい側にある時計台が正午の鐘を鳴らした。
加賀は今にも灰が落ちそうな煙草を手に立ち上がり、近くの灰皿に歩み寄ると それを放り込んだ。
以前は そのまま下に落として踏み消して終わりで、そのたびヒカルが注意して それを拾っては灰皿に捨てに行っていたのだが、いつの間にか 加賀が自分で捨てに行くようになった。
マナーに気を使うようになった訳では当然無く、ヒカルの小言を聞くのが面倒になった訳でもない(これは少しはあるかも知れないが)。
ヒカルに、地面に落として靴で踏みつけた吸殻を拾わせたくない・・・それが理由。
当の本人は そんな事には気づかず、振り向いた加賀を笑顔で迎えた。
「進藤、腹減ってるなら先に飯食い行くか?」
「うん、ペコペコ!朝飯食べずに出てきたから・・・今日はどうする?」
「そうだな・・・オレはモスって気分かな」
「オレも!じゃ、モスいこ!」
二人は並んで歩き始めた。
手もつながないし、腕も組まないけれど、時折 加賀のシャツの袖がヒカルの肩に触れて、鼻先を加賀の匂いが掠める。
見上げれば、骨ばった その肩の向こうに、すっきりした顎のラインと涼しげな目元を備えた、いつもの横顔。
加賀が隣にいる、感覚。
それは不意に胸を締め付ける微かな切なさと、陽だまりの中にいるような安心感をヒカルにもたらす。
殆ど目線を変えることなく真っ直ぐ前を向いて歩いていた加賀は、斜め下からの視線に気づいて顔を向けた。
「何だ?」
「あっ・・・な、何でもないよ」
慌てて俯くヒカルを見下ろして加賀は少し考えていた風だったが、やがて微笑を浮かべて正面を向きなおした。
「進藤」
「ん?」
「進藤」
「なぁに?」
「進藤!」
「だから、何だよ加賀っ―」
自分の声が聞こえていないのかと思い、首を伸ばして覗き込むように顔を近づけたヒカルを、加賀は あっさりと捕獲した。
抱きしめられた腕の中で、ヒカルの顔が みるみる赤くなっていく。
加賀は そんなヒカルの顔を両腕で隠すようにして、ふわりと顔を近づけた。
「なな、何すんだよ!こんな通りのど真ん中でっ!」
「いい事、教えてやろうと思ってな・・・」
「オレもさ、お前の事『進藤』って呼ぶの好きだし、お前に『加賀』って呼ばれるの好きだぜ」
「あ・・・!加賀、何でそ・・」
恥ずかしさと、驚きと、嬉しさと、色々な感情が一緒くたになったヒカルの言葉の続きは、加賀が重ねた唇に吸い込まれてしまった。
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完
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