去年までヒカルにとって その日は いつもと同じで何の変哲も無い日だった。
違いと言えば、幼なじみの あかりや近所のオバサンがチョコレートをくれる事くらいで・・
もちろん、その一月後に律儀にお返しをするようなヒカルではない。
二月一四日、昼休み、葉瀬中学校 三年生用の昇降口。
「榎本・・岡崎・・尾畑・・」
ヒカルは背伸びをしたり しゃがみ込んだりしながら、下駄箱に書かれている名前を順番に読み上げていく。
程なく お目当てのそれを見つけると、ポケットから小さな紙包みを取り出した。
『ねぇ、ヒカル・・・もう少し綺麗に包んだほうが良かったんじゃないですか?』
「し、しょーがねぇだろ!オレ、包み方なんか分かんないんだもん」
見るからにヘタクソなラッピングをされた紙包みの中身は、昨日コンビニで買った"普通"のチョコレート。
もちろん"専用"のチョコレートは山のように並んでいたけれど、どう転んでもヒカルにそれが買えるはずも無く、
そもそもヒカル的には、これは"バレンタインのチョコレート"ではないのだ。
「加賀の奴、ビックリするだろーな!下駄箱にチョコレートなんか入ってたらさ」
「でも普通、下駄箱にチョコとか入れんのかなぁ?・・・ま、いっか」
昨日の夕食時、ヒカルの母親が翌日のバレンタインデーの事を話題にした。
『お父さん、いくつ貰ってくるかしら』
とか、
『あかりちゃん、今年もくれるといいわね』
とか言う母親の言葉に曖昧に返事をしながら食事を済ませ、やがて自室に戻った数十分後、ヒカルはコンビニに向かっていた。
「普段、からかわれてばっか だもん・・・たまにはお返ししなきゃなっ!」
初めて思いついた小さなイタズラに、堪えようとしても つい顔が綻んでしまう。
下駄箱を開けて それを見つけた"アイツ"は、一体どんな顔をするだろう?
その顔が見てみたい・・・そう思っただけ。
「・・・何か胸がドキドキしてきた!」
そう言って走り出したヒカルを追いかけながら、佐為は喉まで出かかった言葉を必死で飲み込んだ。
まるで幼稚で下らないイタズラにかこつけて、誤魔化された思い。
とりわけその方面には疎いヒカルが、恐らく初めて抱いたであろう思い。
その感情の呼び名をヒカルは知っているけれど、自分が今 加賀に対して抱いている感情が それである事を本人はまだ自覚していない。
分かっている佐為は もどかしくて仕方が無く、つい言ってしまいそうになるのだが、
ヒカルの 年の割には幼い心が少しずつ成長していくのを見ているのも、とても興味深くて、また微笑ましいとも思う。
思うのだが、やはり・・・
『ああ、もどかしい!言ってしまいたい!』
「?何ブツブツ言ってんだぁ、佐為?」
一人でヤキモキしている佐為を見て、ヒカルは不思議そうに首をかしげた。
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